ハイビスカスのいい加減は良い加減Log

呟き以上日記未満、書きたくなったら出没します。感情、出来事、頭に浮かんだこと、私の人生模様の記録です。    

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20歳になった君へ

君は、なかなか私のお腹から出てきてくれなかった。

やっと出てきたと思ったら、羊水を詰まらせてしまったせいかすぐには産声が上がらなかった。

産婦人科の先生が君の足首を持ち、逆さ吊りにし、お尻か背中をポンポンと叩いてからしばらくして産声が上がった。

その産声は「ゲロゲロ…(羊水を吐く音?)オギャー!オギャー!オギャー!」だった。

生れたばかりの君は、当たり前だけれど小さかった。

看護婦さんにおっぱいの与え方を教えて貰っていた時、「子どもを産むのも下手だけど、おっぱいあげるのも下手ね…」と心ないなコトを言われて、「母親失格ってこと?」と自己嫌悪に陥った。言い返してやりたかったけれど、夜になると君をその看護婦さんのもとに預けるし、君に何かあったらと思い、ぐっとその気持ちを抑えた。

でも、そんなこといちいち気にしている場合ではなかった。タイマーをかけたように3時間おきにおっぱいを欲しがって君はオギャーオギャーと泣いた。

それ以外の時間は寝てなければいけないのに、可愛くて、愛おしくて、ずーっと君のことを見ていたかった。ずーと見ていても飽きなかった。

退院して1か月間、私の実家に里帰りした。私の母も父も何枚も写真を撮り、毎日写真を現像する為に写真屋さんへ通った。


1か月が過ぎ、住んでいた家に戻った。躊躇したけれど、君の故郷はココなんだと自分に言い聞かせて戻った。

今まで、私に無関心だった舅と姑と一緒にいる時間が長くなった。自分のペースでやりたいのに、いろいろ言われ、いろいろな事があった。

今となっては誰も悪者はいないと気付くけれど、その時は精神的に限界で、しばらくしてまた実家に身を寄せた。

父に「子育てに自信がない。」と言ったら「だってちゃんと生きているじゃないか。」と言われた。短い言葉だったけれど、それで救われた。

君が生まれた年。O157が流行した。君が下痢になりすごく心配だったけれど、O157でなかった。

お母さんからの免疫効果がなくなると言われている生後3か月に初めて熱を出した。何も喋らない君、心配だったけれど手探りで看病し、回復してくれた。

晴れてる日は毎日、毎日、外へ連れ出した。いろんな物を目を満丸くして見ていた。



実家でしばらくお世話になって、クリスマス前に家に戻った。

家に戻った時も、毎日、毎日外へ連れ出した。友達も次第に増えた。

ある日、外から帰ると、姑が出てきて、私の存在を無視し、君を乗っている乳母車からいきなり引き抜き「じいさん、帰って来たよ。はいっ!」と舅に渡した。

ショックだった。私は、そのまま2階にある自分の部屋へ駆けあがった。でも、君にとってはおじいちゃん、おばあちゃんだし、おじいちゃん、おばあちゃんにとっては君は孫だからと自分に言い聞かせた。

それ以外にもいろんな事があった。良いことも悪い事も…。でも、いつも脳裏にあったのは、この家庭環境が君にとって吉と出て欲しいと言う思いだった。

でも、君はみんなに愛されていたと言うことは事実、そしてここまで来た。

これから法律上は大人の仲間入り。自分の人生を自分の責任で思い描いたように生きて行ってください。

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《世間では子育論で核家族化が問題視されていて、大家族のことはあまり問題視されない。きっと、問題提起している人は当事者(経験者)でないと思う。義理親と暮らす立場の人間(嫁も婿も)には同居ストレスと葛藤している人もいる。それが原因で離婚をしてしまう方もいます。経験者としては、ピンポイントで見ないで、そうした時、立場立場ではどのような事が起きるのか考えてから発言して欲しいと言う思いがあります。》