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ハイビスカスのいい加減は良い加減Log

呟き以上日記未満、書きたくなったら出没します。感情、出来事、頭に浮かんだこと、私の人生模様の記録です。    

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私には弟がいる。蟻とキリギリスで言うならば、私が蟻で弟はキリギリスだ。

お正月料理の話で「蓮は先が見えていいのよ。」と母が言った時、「先なんか見えたら終わりだ。」と弟が返したことがある。



弟はずーっと小学校から高校までサッカーをやっていた。社会人になってからもチームを作ってやっていた。弟の中高の先輩でプロ(Jリーグ発足当時)になった方がいたが、弟はならなかったし、なれなかったし、なろうとは思っていなかったようだ。



弟が就職した会社を止めて、当時時給の良かった運送会社と百貨店の装飾関係の会社(夜の作業をする仕事)でアルバイトをしだした。私が結婚した翌年くらいだったと思う。

母が弟のパスポートを見つけて私に電話をして来た。「○○(弟)、なんかアメリカいくみたい..。」と言ってきた。「直接聞いてみればいいじゃない。」と私は言った。「聞くと、うるせーなぁって言うから..。」と母が言った。弟はアメリカ行きの資金を貯めていたのだ。

私は内心、我が弟、英語もろくすっぽ出来ないのになかなかやるじゃんとその時思った。でも、親になった今思うと母は気が気でなかったと思う。

弟がいなくなった。何も言わずにアメリカへ旅立った。一週間位何も連絡がなかった。取れなかった。(当時携帯電話なんて普及していなかったか、なかった。)

私が母の所に(実家)に電話すると怒られた。弟からの電話からだと思ってしまうからだ。「電話してこないで。」とまで言われた。以前は寂しくて「何してるの?」とか私に電話して来たのに...。別にそれに関して怒りとかそういう感情は抱かなかった。ただ、ただ心配しているんだなぁ、と思ったし、私も勿論、弟の事が心配だった。

しばらくして、母から弟から連絡があったと私のところに電話がきた。私は思わずホッとして泣いてしまった。ヒッチハイクしていたら、運よく優しいアメリカ人にめぐり合い、日本建築をしてる日本人を紹介してくれたとのことだった。

あとから聞いた話だけれど、カーボーイみたいな生活に憧れてアメリカに行ったらしい。でも結果、純日本の仕事をすることになってしまった。

電話はいつもコレクトコールでしてきた。時々、写真もエアメールで送られてきた。

私も初めて弟に手紙を送った。「日本人に生まれてきたんだから日本人として生きなさい。」的な事を書いた真剣な手紙だったと思う。いつもツンデレ同士の姉弟。弟は「○○ちゃん(私)じゃないみたい。」と電話で言った。

アメリカで和風建築を覚えて帰って来た弟。何年も日本から離れていたから服装も今風ではなかった。履物も下駄を履いていた。

「今、どんな髪型が流行っているの?」と弟が私に聞いてきた。「もみあげを刈り上げた感じの髪型かな...」と答えた。弟が床屋へ行って帰って来た。
なんとその髪型は坊主だった。しかも下駄を履いているし...。

「きっと何年も見かけないなぁと思って久しぶりに見た人には出所して来たと勘違いされるなぁ...。」と父が笑いながら言った。

アメリカに行って、日本の良さを再確認して帰ってきた弟。しばらくは和風建築の仕事をしていたけれど、仕事量が激減して、今は違う仕事をしている。
でも、その仕事場には、中学からの仲の良い友人も一緒に働いているらしい。心強くてよかったね。



小さい頃は、取っ組み合いの喧嘩もよくした。でも、弟がいじめられていると私は直ぐさま助けに行った。生意気だと小学校にあった遊具の回旋塔から振り落とされ入院した事のある弟。その時、毎日お見舞いに行ったっけ...。貯めたおこづかいで買ったプラモデルを一回だけ持って行った。


今では、家に誰もいない時などで私が調子悪くなった時に電話するとかけ着けてくれる。

私からして見れば、無計画で危なっかしく生きているようで心配だけれど、弟にして見ればそれは無計画ではなく先読みし過ぎない今を生きるという生き方なのかもしれない。

先を読んだってその通り行く訳でもないしね..。弟の友人でプロの格闘家を目指していた人が、怪我をして体が不自由になった事も今の生き方に影響しているのかなぁ..。その事について聞いた時「聞いてどうするんだ。何になるんだ。」って言った弟。

でも心配性な私は、いつも弟の事を息子と同じ位に心配しています。そういう性格だからしょうがない。

何かあったら助けてあげるよ。いくつになっても弟は弟。