母が亡くなって棺桶の蓋が閉められる時、私は「ありがとう、ありがとう、ありがとう」と何度も言い、母のおでこを撫でていた。
父は「今まで良く頑張ったな」と言い、母のおでこをポンポンとした。
弟は「さようなら」と言って母の髪を撫でた。
弟が言った「さようなら」という言葉はとっても重みがあり過ぎて、私には言えなかった。言いたくなかった。その時に言う「さようなら」はもう本当に会えなくなってしまうという言葉だったのを知っていたのに私は知らない振りをしていたのかもしれない。
でもそういえば、明日も会える学校の友達や仕事仲間にも別れ際に「さようなら」と言っている。
「さようなら」には「またね」「また会おうね」という意味合いと「本当に永遠に会えない」という相反するの意味があるのをこの記事を書いていて気が付いた。
※私は話が横道にそれてしまう事が良くあります。家族や同僚にも???な顔をされてしまう事が多々あります。話をしていたり、物を書いていたりして気付いたことに気持ちがシフトしてしまうと止まらなくなってしまうのです。
改めて「さよなうなら」という言葉を調べてみると、
「さようなら」の語源は、「左様なら(それなら)ば、これで別れましょうか」、「さようならば(さらば)」、「そういうことならば」などがあるようだ。
※語源由来辞典とコトバンクから引用しました。
あの時、弟が言った「さようなら」は、「これで永遠に会えないんだ」という思いで言った言葉なのか、「また天国で会えるよね」と思って言った言葉なのか、それらとは違った気持ちで言った言葉だったのかは弟にしか分からない。
「さようなら」という言葉に「またね」という意味合いがあるのなら、千代にさよなら、長い年月を経た後、また家族になりましょうね...。