ハイビスカスのいい加減は良い加減Log

呟き以上日記未満、書きたくなったら出没します。感情、出来事、頭に浮かんだこと、私の人生模様の記録です。    

今所属する共同体から切り離されても大きな共同体があるんだということ(アドラー心理学)

最近、無価値感と孤独感が拭いきれない日々が続いていました。周期的なものか分かりませんが時々そうなります。

そんな思考を切り離したくて、以前you tubeで途中で見るのをやめてしまったアドラー心理学を再度見ることにしました。

結果、見て良かったと思いました。

 

《3》《4》になると話がシンプルになり《1》《2》で言っていたこともそういうことかと納得できるのでぜひ見て欲しいと思います。

 

《1》のざっくりした内容は

多くの人間は自らが意味づけをした主観的な世界に生きていて、自らが複雑にしている。また、過去の負の経験を持ち出してトラウマと意味づけをしている。アドラー心理学では、トラウマと捉えず過去の経験に自分がどのような意味を与えるかによって自分の生を決定していると考えるとのこと。原因論ではなく目的論で生きる。

 

最初はこの時点で、苦しくて本当に葬り去りたいような出来ごとだってあるじゃないと思ってしまい、むりやりにポジティブに捉えることに疲れていた私は途中で見るのをやめてしまいました。

 

《1》トラウマの否定に関しては15分くらいから出て来ます。

 

でも、私が最初

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に見るのをやめてしまったのは、トラウマと意味づけをして納得して過去のせいして生きているからという事が今回最後まで見て(《4》まで見て)分かりました。

(トラウマと意味づけして生きて行くことを選択したのならそれはそれでその人の生きる道だと思います。)

 

 

《2》のざっくりした内容は

自分を苦しめている者の正体はズバリ劣等感。①理想の自分と現実の自分とのギャップで生じる劣等感と②他者との比較の中で生じる劣等感や優越感を健全な劣等感と優越性と区別して劣等コンプレックス、優越コンプレックスとアドラーは名付けた。

 

《2》

 

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『劣等コンプレックス・見かけの因果律

実際、そうなのかどうか分からないのにも関わらず傷付くのが怖くて不健全な劣等感を持ち出し実行するのを避けている。可能性を放棄している。人と接するのを避けている。

『優越コンプレックス』

自分を実際よりも優れているように見せようとする。他者からどう見られているかを非常に気にする。自分で自分についての理想を高くしようとする。

 《2》の動画は人間の複雑な心理について分かりやすく話されています。特に優越コンプレックスには色んなバリエーションがあり、いろんな人の顔が目に浮かび、また劣等コンプレックス寄りだと思っていた自分にも当てはまることがあります。不幸自慢は優越コンプレックスになるそうです。劣等コンプレックスと優越コンプレックスは相反するようで繋がっているとのことです。

 

 

 

《3》のざっくりした内容は

すべての悩みは対人関係の悩みであるとアドラーは言っている。アドラーの考える他人との付き合い方が解説されている。

死はどういうものであれ対人関係の話。孤独といっている人も他人がいてこそ孤独を感じる。どんな問題でも行き着く先は対人関係の悩みである。

広場恐怖症の人はみんなから見られることを恐れているように見えるが...(続きは動画を...)

人は承認欲求を欲しがる、それに基づいて行動する。でも承認欲求が満たされなかったり、期待通りの反応がなかったりしたら傷付いたり、自分には価値がないんだと思ったり、相手を敵だと思ったり...

それはギブ&テイクの考えが前提にあるから。

でも、生きること全般がギブ&ギブだと割り切ることが出来れば人生は楽になる。

(何故かは最後の《4》の動画を見ればスッキリ分かると思います)

 

課題の分離(対人関係の出発点)

親は子どもにいい人生を歩んで欲しいと思い子育てをしてきた。それは親の課題。(親の考えるいい人生と子どもが考えるいい人生は違う)

子どもには親の課題を解決する義務はない。

子どもの人生は自分の課題であって親の課題ではない。従って子どもは自分の人生に責任を持つ。

あらゆる対人関係のトラブルは土足で人の課題に踏み込むことだと言っても過言ではない。

冷たい親子(人間)関係ではなく涼しい人間関係。

日本では人に無関心だと冷たいと言われがちだけれど、それを涼しいと表現すると印象がちがう。

でも、無関心というより何かあった時は助けてあげられるよう見守る体制でいる。

自分の人生を歩くのには幸せになる勇気がいる。

対人関係の中に入って行けば摩擦は避けられない。でも生きる喜びも幸せも対人関係の中からしか得る事が出来ない。

課題を分離することは他人との関係を切るということではない。

親子関係で何かしらのトラウマがあったとして、ずーっとそれを恨んでネタにしている人がいる。その関係を良くしようとしないでおこうという目的があって上手くいかなかったことを思い出しているんだという事に気が付いた。

対人関係のカードは自分が握っている。相手は関係なく、自分が相手との関係を良くしようとすれば出来る。

人は変えられない、でも自分は変えられる。

私も何でそんな嫌な奴の為に自分が変わらなくてはならないんだと思った事は数知れず。でも、自分が幸せになる為には自分が変われば良い。

それで相手が変わる保証はないが、変わるかどうかは相手の課題であって私の課題でない。相手が変わらなくても自分が責任をもつ必要はない(私のせいではないし、罪悪感を持つ必要もない)

他者を支配したり操作は出来ない(アドラー心理学の大前提)。

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《3》は子育て中の方は必見です。次の動画《4》もかも...

つい最近子どもに「俺にだってプライベートはある」と言われてしまった。

心配し過ぎは良くないと反省すると同時に、責任が軽減されてホッとした自分がいた。

何かあったら親の育て方が悪いと言われてしまうのを恐れていたのかもしれない。この動画を見て、子どもの人生は子どもの課題として捉える事が出来た。

 

 

 

《4》のざっくりした内容は

アドラ―がたどり着いた幸福になる方法、共同体感覚についての解説がされている。

共同体感覚(対人関係のゴール)とは、あなた&私から始まり、家族、学校・職場、社会、国家、人類、過去現在未来全ての人類、生きているもの生きていないもの宇宙全体をさしている。

人生の意味は全体への貢献である。人は全体の一部であり全体と共に生きている。

共同体感覚のために必要なこと。①自己受容②他者貢献③他者信頼。

①ありのままの自分を受け入れる。大切なのは何が与えられているのではなく、与えられているものをどう使うかだ。

私はこの先ずーっと私であり、どんなにクセがあると思っても受け入れていくしかない。私は病気だから、貧乏育ちだから、ブスだからという考え方では共同体の中に入っていけない。

短所だと思って来たところを長所に置きかえるトレーニングをする。例えば集中力がないのを散漫力(同時にいろんな事を手掛ける事ができる)がある、記憶力が低いを忘却力がある(直ぐ忘れるのでクヨクヨしない)、臆病を慎重など...

②どんな時に自分が好きであると感じられるか、価値があると感じられるかは、自分が役立たずではなくって自分が何らかの形で貢献している時。

③②が成立するには他者が仲間だと信頼できないといけない。他者が仲間だと思えなければ貢献する気にはなれない。

①②③はセット。

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われわれのまわりには他者がいる。そしてわれわれは他者と結びついて生きている。

人間は個人として限界があるので、1人では自分の目標を達成できない

人は弱さ、欠点、限界の為に他者と結びついている。

自分自身の幸福と人類の幸福の為にもっとも貢献するのは共同体感覚である。

他者を仲間とみなし自分の居場所があると感じられることを共同体感覚。

生きる喜びや幸福は他者との関係からしか得る事が出来ない。

その為には自己への執着を他者への関心に切り替えていく必要がある。

 

勇気くじき=勇気をくじかれる。ダメなことばっかり指摘される。理想の子どもや部下をイメージし現実の相手をそこから引き算でしか見ない。適切なコトをしているにもかかわらずハードルを高く設定されているからダメ出し、減点されてしまう。勇気をくじかれるしかない状況。人間関係が縦の関係

勇気付け=共同体への貢献感を感じられ自分に価値があると感じられ課題に立ち向かっていけるようにな気持ちに持って行くいくように援助すること。キーワードは『ありがとう』あらゆる対人関係は対等。子どもは親や大人より知識がないかもしれないが人間としては対等。

 

褒める、叱るのは上から下に下す評価。対等ではない。

 

会社なんて、1つの共同体にしか過ぎない。悩んだ時はより大きな共同体の声を聞け。

会社以外にも、いろんな人間関係がある。そこらじゅう人間関係だらけ。

ひとつの共同体にしか所属していない人はいない。

小さな共同体から切り離されてもより大きな共同体があるんだというコトを知っているのと知っていないのとでは大きな差がある。

仕事場で上司がおかしな言動をするならばおかしいと勇気を持って反発しても良いと思う。何も言わないで不本意な生き方をするよりはずーっとまし。たとえそこで切り離されてももっと大きな共同体があるのだから。

『嫌われる勇気』(嫌われようとしてではなく嫌われても仕方がないんだという感覚)

自分を嫌う人がいるという事は自分が自由に生きているという証。自由に生きるにはそのくらいの代償を支払わなければならないという覚悟を持って生きて行けば、小さな共同体の中の人間関係なんか気にならなくなる。

 幸せになる勇気と嫌われる勇気は同じ。自分が自分の為に行動する勇気。

 

 そう思えば大きな気持ちでいられるのではないでしょうか。自分が無価値だと感じるのも和らぐのではないでしょうか。

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 『人生の意味はあなたが自分自身に与えるものだ』=一般的な人生の意味はないとアドラーは言っている。

私の人生の意味は結局、大きな共同体の中の一つとして生まれたのだから生きて、その時が来たら死んで行くってことに尽きるのかもしれない。

他の人はしらないけれど...。

 

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言葉の羅列、文末形式が混在してすみません。動画をご覧いただければ分かると思います。